桜と紅葉で知られる奈良県桜井市にある談山神社。
あじさいも人気ですが、見頃は来週かと思われます。少し早すぎました。(苦笑)
「 談山 」の名前の由来は、天皇をしのぐほどの富と権力を得ていた蘇我氏に対して、危機感を覚えた中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)が乙巳の変の密談を多武峰(とうのみね)山中にて行い、「談山(かたらいやま)」と呼ばれたことが起源となっています。
実力者の暗殺計画ですから、情報を知る人間は最小限にしなければなりません。密談の回数が増え始めた頃は、周囲も「何か企んでいる」と気づき始めた人もいたのでしょうね。
そして645年6月にクーデターは決行されます。
もしクーデターが失敗すれば ” 死 ” を覚悟しなければなりません。 中大兄皇子 と 中臣鎌足 が密談を重ねている時期は、あまりの緊張感に人相にも変化が現れ、花の開花も目に留まらなかったに違いありません。
本殿の梁や荷重を柱に伝える升組(ますぐみ)等の装飾も美しく、向かいの拝殿から眺める本殿もまた格別です。本殿には 藤原鎌足公 が祀られています。
拝殿には「蘇我入鹿暗殺の図」の描かれた「多武峯縁起絵巻」が展示されていますので、ぜひ忘れずにお立ち寄りください。
談山神社 を後に、 蘇我入鹿 を殺害したと伝わる 飛鳥板蓋宮 に向かいます。
美しい田園風景、空の大きな景色に癒されます。
この辺りのお米は当時の権力者に納められていたのでしょうね。
私も奈良産のお米を食べていますが、美味しいですよ!
ここは明日香村にあったとされる斉明天皇の皇居の一部。写真は中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を殺害したと言われる 飛鳥板蓋宮 (あすかのいたぶきのみや)です。
暗殺決行は三韓(新羅、百済、高句麗)から使者が来日する儀式の日。
蘇我入鹿を斬る役目を任された佐伯子麻呂(さえきのこまろ)と葛城稚犬養網田(かつらぎのわかいぬかいのあみた)は恐怖のあまりに全身汗にまみれ、声も手も震えていたとあります。
このままでは計画倒れになってしまうと判断し、中大兄皇子が自ら躍り出て、入鹿の頭と肩を切りつけました。
「私に何の罪があるのか」
入鹿だけでなく、その場にいた天皇も驚き中大兄皇子に問うと、
「入鹿は皇族を滅ぼして、皇位を奪おうとしました」
とその場で斬り殺されました。
中央やや右下にある五輪塔が 蘇我入鹿首塚 です。
一枚上の写真・飛鳥板蓋宮 (あすかのいたぶきのみや)で中大兄皇子と中臣鎌足らによって暗殺された蘇我入鹿の首がここまで飛んできたと伝えられ、供養するために埋めたと言われています。
五輪塔の奥に見えるのは蘇我蝦夷と蘇我入鹿が権勢を示すために丘の麓に邸宅を構えていたという甘樫丘です。
蘇我入鹿は大悪人と学んだ人も多いと思いますが、蘇我入鹿首塚や蘇我入鹿の祖父のお墓と言われている「石舞台古墳」が残された不思議の数々。いろいろと想像が膨らみますね。
蘇我入鹿首塚のある五輪塔から歩いて1分の飛鳥寺。
色とりどりの花がきれいに咲いていました。
蘇我氏の氏寺である法興寺の後身で、当時は、五重塔を中心とした伽藍配置だったそうです。本尊は「飛鳥大仏」と称される釈迦如来で、像高は275.2cmもある大きな仏様です。
飛鳥寺の境内は、けっして多くはないのですが、咲き始めたばかりのアジサイに彩られていました。
田んぼに映る大空に、山や古民家の懐かしい風景が拡がる明日香村。
心地良い風に吹かれながら、歩いてみませんか。。。
あっ、この辺りはレンタサイクルが便利です。(笑)
最寄の駅や観光案内所などで借りることができますので、ぜひ訪れた際はレンタサイクルをご利用ください!
【撮影日】 2019年6月23日(日)
【訪問地】 談山神社 奈良県桜井市多武峰319
【拝観料】 大人600円、小学生300円
【拝観時間】8:30am~16:30
【駐車場】 無料駐車場あり
【アクセス】桜井駅南口バス停より終点・談山神社下車
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