今回ご紹介するのは、
以前にご紹介した「 逆説の日本史 古代黎明編 」の第2弾となる
「 逆説の日本史 古代怨霊編 」です。
著書のサブタイトルにもなっている ” 聖徳太子の称号の謎 ” 。
歴史の勉強をしていた頃は「称号」の意味を考えることなど皆無でしたが、こうして歴史研究をしている方の想像、思考に触れるというのは楽しいもので、勉強になりますね。
「なぜ聖徳太子に「徳」という称号が贈られたのか?」
単純に「徳」があったからと考えてしまいそうですが、聖徳太子以外に「徳」の字を贈られた6人の天皇諡号(しごう)は「孝徳天皇(こうとく)」「称徳天皇(しょうとく)」「文徳天皇(もんとく)」「崇徳天皇(すとく)」「安徳天皇(あんどく)」「順徳天皇(じゅんとく)」の6人。
※諡号(しごう)・・・貴人の死後、生前の行いを尊んで贈る名
この6人が6人ともまともな死に方をしておらず、事実上殺された人もいると書かれています。” 死 ” を検証し、様々な角度から想像を巡らせてみると、この「徳」という字は「無念の死を遂げた怨霊(あるいはその予備軍)」に贈られる「専用」の字になったのでは・・・と井沢氏は述べています。
たしかに死の状況から天寿を全うしたとは言い難く、ある時期から「徳」という字が使われなくなったことも指摘しています。
※6人の死亡理由は本著内132ページに書かれています
また1985年に発掘調査された藤ノ木古墳にも触れ、見つかった石棺の中に葬られている死者と足元に置かれた金冠にも注目しています。
金冠は滅多に出土せず、単なる豪族では金冠をつけることはできないこと、ここが大和の中心地であることから、石棺の中の人骨は天皇ではないか・・・とも考えられています。
ところが石棺には2つの人骨と頭につける金冠が人骨の足元に置かれ、しかも冠が二つ折りに壊されていました。これは古代の常識ではありえないことで、冠が足元から発見されたことも、これが初めてのことでした。
石棺に納められた人骨は重要な人物であることは間違いありませんが、はたして・・・。
海外に話を移すと、古代ローマ人は「ゾンビ」を恐れていて、遺骨の手と足に石を乗せて埋めてみたり、生贄(いけにえ)として子犬を埋葬することもあったそうです。
これらの話を鑑みても、井沢氏が指摘する「霊能力」「呪力」など、歴史解明に呪術的側面の無視ないし軽視をしてはいけないというのも頷けますね。
以前に藤ノ木古墳近くにある斑鳩文化財センターを訪れたことがあります。当時の発掘調査中の写真や出土したレプリカの宝物や石棺などを見ては感動したのを覚えていますが、
「なぜ金冠が足元に置かれ壊されていたのか?」
想像を膨らませて再訪してみたいと思います。(^^)
ちなみに藤ノ木古墳は法隆寺から徒歩10分、そこから3分ほど歩くと斑鳩文化財センターがあります。センターは藤ノ木古墳についてのガイダンス施設となっており、出土した宝物や石棺のレプリカ、内部の写真などが展示されていますので、ぜひお立ち寄りください。
まだ認知が低いためか、ゆっくり観賞することができます。「 逆説の日本史 古代怨霊編 」を読んだ後であれば、さらに深まりますのでオススメです。
↑ 斑鳩文化財センター
前回紹介した「 逆説の日本史 古代黎明編 」でも触れましたが、
「日本の歴史学には決定的な欠陥がある」
と今回の「聖徳太子の称号の謎」でも強く訴える表現が見受けられ、歴史を研究してきた人にしかわからない現場の空気感もヒシヒシと伝わってきます。。。
奈良の飛鳥地方、法隆寺を訪れる方にオススメです。
【本のタイトル】逆説の日本史 聖徳太子の称号の謎
【著者】井沢元彦
【出版社】小学館文庫
【Amazon】逆説の日本史2 古代怨霊編(小学館文庫): 聖徳太子の称号の謎
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