今回ご紹介するのは、著者・井上 靖氏の「天平の甍(いらか)」です。
この本は、命がけで日本に渡海した唐の高僧・鑑真(がんじん)の物語です。学校の教科書では、奈良県の唐招提寺に安置されている鑑真和上座像(国宝)の写真と共に
「苦難の末、失明しながらも来日した高僧」
と学んだかと思います。
なぜ鑑真は、日本に来ることになったのか。
奈良時代初期、日本の仏教界は公式な戒律がありませんでした。「戒律」というのは、仏教信者が守るべきルールのようなものです。
ルールがありませんでしたので、自分で出家を宣言して
「私は僧侶だ」
ということもできました。あまりに多くの人が「私度僧」となり、仏教界は乱れに乱れていました。
※私度僧(しどそう)・・・許可をえずに私的に得度したものを私度僧といいます。 ※得度(とくど)・・・剃髪・出家後、仏道修行をして、僧尼となることを得度といいます。 |
そのため僧侶に位を与える制度を普及させる必要があると考えた政府は、信者や出家に戒を与えることができる僧を唐(大陸)から招くことを決定(遣唐使)しました。
近代国家成立を急ぐ政府は莫大な費用を捻出し、大陸へ向けて遣唐使を派遣します。当時の渡航は生きて帰ってこれる確率が25%。まさに命がけの使いでした。
遣唐使として無事大陸に赴いた僧・宋叡(ようえい)と普照(ふしょう)が、日本にどなたか推薦してくれるよう鑑真に申し出ます。
鑑真は、弟子たちに誰か行くものはいないかと確認するも、海を渡る危険さを理由に断る者ばかりでした。そこで鑑真は自ら渡日することを決意したのです。
鑑真を慕う唐の僧たちは、鑑真が日本に渡ることに反対する僧が多く、乗船もままならない状況でした。反対する僧を安心させるために乗船失敗後は、数年間、僧として普通に生活を続けました。
その後も鑑真は何度も渡日に失敗します。
普通の人であれば諦めていたような苦難の連続にもかかわらず、使命を果たすべく命をかけて渡日する鑑真の姿に、道を究めた僧の覚悟を感じることができました。
年を重ねてもまだまだ頑張らねば。。。
と思わせてくれます。(笑)
奈良県奈良市にある「唐招提寺」には、いまも参拝する人が絶えないという鑑真和上のお墓があり、その墓所の右端には鑑真和上の故郷の花「 瓊花(けいか) 」が植えられています。心温かくなりますね。
失明した鑑真に故郷の花は見えずとも花の香りに故郷を思い出してくれていると思います。
世界遺産・唐招提寺についてはこちらをご覧ください。
【本のタイトル】天平の甍
【著者】井上 靖
【出版社】新潮文庫
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